idk-lampの世界(短文)
ある日、私のもとに経費承認の依頼が二件届いた。
ケース1:10万円の見積もり
見積金額は10万円。
金額だけを見れば小さい。
しかし用途は
「コミュニケーション活性化のためのゲーム機購入」だった。
私の”経費”決裁権限は5万円までである。
用途も含めて考えると、これは私の判断範囲を超えている。
私は承認しなかった。
代わりに、「分かりません」ランプをつけた。
ケース2:110万円の見積もり
次に届いた見積は110万円。
私の”案件”決裁許可額は100万円までである。
形式的には、ここでも
「分かりません」ランプをつけるのが正しい。
私は実際にそうした。
だが今回は事情が違った。
・上司は海外出張中で即時判断できない
・納期が迫っており、止めると会社に不利益が出る
・この判断を“保留”にすること自体が、価値を毀損する
私は上司に状況を説明するメールを送り、
自分の判断で承認した。
後日、上司が帰国し、
この判断は「特例」として整理された。
このとき、何が起きていたのか
この仕組みを構造として見直すと、次のようになる。
・承認依頼が私に集まる構造が BOA(境界)
・「私」という役割が RCA(責任を引き受ける存在)
・見積の妥当性を評価するのは モデル
・妥当性が低い場合に判断を弾くのが RP
・判断不能を明示するのが idk-lamp(分かりませんランプ)
重要な点が2点ある。
1)ランプは、精度が低いから点くのではない。
たとえAIの精度が99.9%であっても、
責任の所在が定まらなければランプは点灯しなければならない。
精度は統計であり、判断は約束(コミットメント)だからだ。
そのギャップを埋めるために、我々はランプを点す。
2)「私」が判断を「閉じていない」場面が含まれていること
二件目の承認行為、これは規則通りの行為ではない。
だが、私は規則を破ったつもりはなかった。
規則が想定していない状況で、一時的に責任を引き受けただけである。
私は最終判断者になったわけではない。
判断は、「特例」が認められるまで、組織に返された。
「承認」されたわけではない。
承認と責任は、同じではない
承認ボタンを押すことと、
責任を閉じることは同じではない。
・小さな世界では、承認フローは自然に閉じる
・だが現実の組織では、判断は世界を更新する
このとき私が行ったのは、
・判断を延ばすことでも
・判断を放棄することでもなく
判断を、「次のルールを作るループ」へ渡す(RCA in the loop)ことだった。